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会陽とは?

会陽とは?
天下の奇祭「会陽裸祭り」
9000人の参加者で熱気溢返る境内
9000人の参加者で熱気溢返る境内

「会陽」(えよう)即ち裸祭りは、天下の奇祭として広く知られているが、その歴史は遠く奈良時代に始まる。
 東大寺良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠(じっちゅう)上人が創始した修正会即ち新年の大祈祷を開山の安隆上人が伝え、毎年旧正月元日より14日の間厳修されていた。

永正7年(1510)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられている。

会陽初期の絵図 西大寺縁起絵巻(第三巻)

会陽初期の絵図
西大寺縁起絵巻(第三巻)

会陽の行事は3週間前の事始め式に始まる。
まず宝木(しんぎ)の素材を受け取りに行く宝木取り、翌日は一対の宝木の形を作り上げる宝木削り、14日前からいよいよ本尊千手観世音の宝前を荘厳して修正会が開白され、山主以下10余名の僧侶により厳修され、国家安穏・五穀豊穣・万民豊楽を毎日祈り続ける。

宝木を削る道具を磨く棟梁
宝木を削る道具を磨く棟梁
祝い主のもと1年間祀られる宝木
祝い主のもと1年間祀られる宝木

当日は早朝より遠近の各地から数万の信者が押し寄せ市内を埋める。夜のふけるにつれ裸のワッショワッショの掛け声が聞こえだし、合図の太鼓と共にその数を増し本堂に溢れ、どよめきは古には四国まで聞こえたと伝えられている。
>>会陽の様子

14日間の修正会も結願となり、御福窓より裸の大集団に向かって院主が万人渇仰の宝木を投下すると、俄然筆舌に尽くし難い争奪戦が展開され、境内を西に東に裸の渦となってもみ合う様は勇壮無比である。その御福(ごふく)にあやかろうと3万人の参拝者が境内を埋め尽くす。

 「男の祭り」とされる西大寺会陽だが、女性の姿もある。午後7時ごろ、白衣をまとった一団が西大寺境内の垢離取場(こりとりば)に姿を見せる。つかの間の静寂に冷水に入り大願成就を念じ、水垢離をする。また祭りの開始を告げる「会陽太鼓」の打ち手は全て女性である。心の炎を燃やして男たちを鼓舞する「炎祷」と「龍神」の2曲を交互に演奏。これから始まる男たちの裸祭りに祈りを捧げる。

会陽太鼓は女性によって演奏される
会陽太鼓は女性によって
演奏される
◆牛玉(ごおう)と牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)◆
牛玉(ごおう)とは仏教世界の中で宝珠(ほうじゅ)

牛玉(ごおう)とは仏教世界の中で宝珠(ほうじゅ)を意味し、世の中の万物を生みだす物である。牛玉の語源、字体は諸説あるが、語源で一般的なのは牛の胆のう中に生じた結石を牛黄(ごおう)と呼び、これを溶いて墨書するところから牛王(ごおう)と書き示した。

他説に牛の体から出てきた毛の固まりの事を示したり、密教の僧侶により仏舎利32粒、香木など9種の材料によって作られた丸の固まりを能作生珠(のうさしょうじゅ)と言うがこれをそう呼ぶ事もある。
また、字体が牛王では無く、牛玉と書き示されている事は未だにはっきりした事は分かっていない。
 万物を生みだす霊験あらたかな「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札をめぐって現在の裸祭りとなったが、今でも牛玉札と呼ばれるこの札は当山で最も重要なお札であり、これを宝木に巻き付けて投下している。
 牛玉所殿(ごおうしょでん)には、この牛玉が神格化され、五大明王を牛玉所大権現とし、ご本尊として祀っている。
 また、牛玉所大権現は裸の守護神であり、裸祭りの参加者はここでご加護を授かった後、本堂大床で宝木投下を待つ。

◆会陽会場図と裸祭りの順路◆
会陽会場図と裸祭りの順路