「祈り」を受け継ぐために、お寺ができること

あらゆることが加速度的に変容していく現代社会。
お寺も例外ではなく、祈りの儀式や在りかたにも様々な対応が求められています。
2020年に始まったコロナ禍により、室町時代から続く伝統行事である
「西大寺会陽」の開催にも大きな影響がありました。
そのような時代に、お寺のあるべき姿とは。そして納骨堂の役割とは何か。
観音院の住職である坪井綾広さんの考えを聞かせていただきました。
(聞き手:渡壁恵子さん/西大寺出身)
渡壁
およそ500年以上の歴史がある西大寺会陽*ですが、こういったコロナ禍での開催というのは、過去に例を見なかったのではないですか?
坪井
そうですね。コロナ禍では宝木(しんぎ)の争奪戦ができないと、みんなが思っていますよね。でも「止めましょう」とか「延期しましょう」とか、そうしてしまうと、かえって不安を煽ってしまうという懸念がありました。「祈りさえもコロナが奪ってしまう」となってはいけないし、困ったときほどお寺や神社が、頼られる「光」にならないといけないと思うんです。

お寺や神社が、頼られる「光」に

そのためにも、やはり会陽の灯を絶やしてはいけない。 そこで行事の原点である、宝木の争奪戦が始まる以前まで振り返って考えてみたんです。 初めて宝木が投下されたのは1510年なんですが、それ以前には争奪がない時代が当然ありました。その頃の会陽を原点回帰として再現してみてはどうだろうか、と。 そうすることで歴史が深みを増して、さらなる魅力として捉えていただけるのではないかという期待もありました。
2021年はコロナ禍ということで争奪をしない形で行いましたが、ただ「争奪戦をなくします」ではなくて、宝木が投下される以前のやり方を踏襲しました。 当時は牛玉紙(ごおうし)という紙のお札を年長者に授与していたのですが、「牛玉紙を家に持って帰ったら、家門繫栄になる」ということから奪い合いの歴史が始まりました。今回も現代の牛玉紙として宝木は作りましたが、奪い合うのではなく過去と同じように限定的に授与することにしました。そこで歴代の福男さんにお願いをして、札引神事と言われる「福男定めの儀」というものを行いました。つまり札を引いて選ばれた人に宝木を授与したんです。
渡壁
原点に立ち返ることで、会陽の歴史を未来に繋げられたんですね。
坪井
会陽を後世まで引き継いでいくことの意義を、改めて実感する良い機会になったと思います。
渡壁
ここ数年だけをみても時代が大きく変化していますが、最近はどういったことがお寺に求められているのでしょうか。
坪井
コロナ禍ということで、コロナに対する不安からの御祈祷が増えています。
それも今までになかったような内容で、疫病平癒だけではなくて現代の戦争とかも含めて、世の中がもっと平和になってほしいというご依頼をされることが増えたんです。

世の中が沈んだ時こそ、祈りを

やはり世の中が沈んだ時こそ、祈りが必要とされるんですよね。 この人間同士が殺伐としてるというか、つながりが希薄になっている状態で、祈りを間に埋めていくことによって、不安を安心に変えていく、そういうことが求められているというか。 とにかく不安だらけなので、その不安を安心に変えられるものを探しているんだろうなと思います。
渡壁
祈りがみなさんの心に寄り添うもの。そういった形になっているわけですね。

コロナ禍ではとくに、命について意識する場面もあったかと思うのですが、人の生死や死生観を取り巻く状況については、どのようにお考えでしょうか?
坪井
これがですね、すごく驚くようなデータが出ていて。戦前のお仏壇の保有率は100%なんですよ。神棚も100%。ところが2009年になると、だいたい50%になって。約半分ですよね。それから2013年にはもう、40%ぐらいなんです。
渡壁
そんなに減っているんですね。
坪井
だから、もう本当に数年でどんどん減っていく。神棚保有率もだいたい同じくらいです。神棚のほうがもっと少なくて、30%くらい。そういう状態なんですよ。
先祖に手を合わせる機会というのが、ほとんどなくなっている。おそらく核家族が増えすぎた結果として、仏事や神事の面倒がみれなくなったのでしょうが・・・。そういう祀りごとができなくなっているという現状は、非常に今強く感じるところなんですね。
渡壁
核家族化という社会の変化の影響が、そういったところにも出てきているんですね。では終活事情というのも変わってきているのでしょうか。
坪井
そうですね。おひとり様というか、一人暮らしの高齢者の方が増えていますよね。
お子さんとかもいらっしゃるんですけど、でも遠方にいる。遠方にいるからわざわざ帰ってきてお墓の面倒みてほしいとは、ちょっと言いにくいな、とか。

さらに消滅可能性都市とか2040年問題というのがありますけど、その頃には65歳以上の人のなかで、一人世帯が40%くらいになると言われていて。
渡壁
うわー、大きな数字ですね。
坪井
65歳以上の人で40%の人が独りなんです。一人ではもう仏事もできないし、お墓も守れないと。だから終活でも、お葬式だけでなくお墓をどうしようかという悩みが非常に増えています。
渡壁
さまざまな対応を迫られているわけですよね。そんななかで、新しい取り組みも始まったとか。
坪井
もうお葬式ができない、お墓もない、どうしようかとなったときに、葬儀をせずに散骨とか樹木葬とか、そういった切り口もダメというわけではないんですけれども、致し方ない事情もあります。 でも、やはり先ほどお話ししたように、祈りが安心に変えていくという肝心な部分をなくして散骨のみになってはいけないし、何か新しい方法になったとしても、祈りがなければ不安要素しか残りません。 だから逆にお寺が、みなさんができないことを代わりにしようというのが、永代供養です。

お寺だからこそ、できること

みなさんが求められているところで、本当はお墓を建てて仏壇を置くことが一番いいんですけど、それが難しい人のための救済措置的な環境として、2019年に永代供養のための納骨堂を建てました。 お寺で供養をし、管理をさせて頂いておりますが、昨日まですごく不安だったという人が、納骨堂の契約をできたことで「良かったです、安心しました」と言ってくださることが、非常に増えています。仏さんのご本尊で導かれているというか、お寺だからこそできることがあると感じています。
あくまでも救済措置なので、それを増やしてしまうと、墓事情もお墓の業界もどんどん悪くなってしまいます。要するに納骨堂が発展すればするほど、その反面、どこかで仕事を失う人がたくさん出てくる。

SDGsという考え方もありますが、何かをすることによって別の何かが前に進まなくなるというのは望ましくありません。何かをすることによって、全てがよくなっていくという方向を目指しています。要するに救済措置を施すことで、もしかしたらお墓などは減るかもしれないけれど、「祈る場所」は守っていくことができる。お墓業界の方々などと連携をしてお手伝いできることを模索しながら、お互いさまの気持ちでやっています。
つまり、決して永代供養がベストではないかもしれないけれども、こういう祈りの環境を社会全体で整えていくということが必要だと思っています。

祈りの環境を社会全体で整えていく

渡壁
自分たちが生かされているのも、ご先祖様がいて、それを守ってきてくれた人たちがいて・・・。でも自分ではなかなか、この先の見通しがつかない。そんななかで納骨堂が心の拠り所になる。まさにひとすじの光が見えるような、そういった取り組みですよね。
これからの未来への展望についても、お考えがあるのでしょうか。
坪井
やはり何事もそうだと思うんですけど、たとえば小さいお子さんとかに、興味がないことを親が押し付けても絶対にダメだと思います。昔だと家制度みたいな、家族のなかにお父さんがいて「これせえあれせえ、仏事はこうするもんじゃ」って決定する。それが良しとされた時代もあったけど、今同じことをすると、押し付けになって圧迫するだけかもしれない。

ワクワクするような、誰でも来られる場所でありたい。

それよりもお寺側が敷居を低くして、「お寺って楽しいんですよ」と、子どもたちが見てもすごくワクワクするような、誰でも来られる場所でありたい。気軽に公園に行くような感覚で、行って気持ちが楽になれるような。
子どもが遊べるところもあるし、大人がリラックスできる場所もある。全然宗教に関係ない人も、そこに行くことによって、「楽しい」と思ってもらえるような場をつくりたいんです。

お寺とは一見無縁に思えるものを、取り込んでいく

具体的には、お酒が好きな人に向けて「オテラグラス」というワインをテーマにしたイベントや、サッカーやランバイクといった子どもたちが好きなスポーツ、精進カレーを提供するカレー参拝企画、国内外から壁画アーティストを招いたアートイベント等、これまでさまざまな催しを行っています。
そうやってお寺とは一見無縁に思えるものを、門を開き取り込んでいくことで、お寺への見方が変わっていくことを実感しています。
今までお寺に興味のなかった人が関心を持ってもらえるような取り組みを、これからも積極的にやっていきたいです。
渡壁
いろいろな角度からお寺を身近に感じてもらえるような企画をされているんですね。

私自身も核家族で一人娘がいますが、今後私が亡くなった後のことを、やはり考えてしまうんです。一人で強く生きてほしい、という漠然とした想いはあるんですが。お墓やお葬式について、私が元気で生きているうちに道筋をつけてあげることが、子どもへの思いやりだったり、教育だったりするのかなと思います。
私のように全く素人で、「右も左もわからない、どうしたらいいんですか?」という漠然とした質問にも寄り添い、答えてくださる存在が身近にあるというのは、とても心強いです。
坪井
おっしゃってくださっているように、年を取ってから初めて考えるのでは、一歩遅いと思うんです。若い時や小さい頃からお寺に慣れ親しんでもらうことによって、選択肢が出てくると思うんですよ。
分骨や散骨についても理解して、その上できちんと祈りを加えることができる。
ですから四方八方にお寺の祈りというものを繋げていくことによって、どこにでも行ける。

次の時代にはお葬式が「全く違う形」になっているかもしれない。でもきっと、形は変わったとしても「祈り」というものは残っている。既存の儀式ではないかもしれないけど、きちんと安らぎのある祈り。それをお寺が今、開拓している段階ですね。
だからこそ、安心して若い方たちからお寺に入ってきてもらえるような環境づくりを、今やっていかないといけないんだろうなと。
渡壁
どんなに時代が変わろうとも、根本にある「祈る気持ち」を大切に思っていれば、お寺との関わりも続いていって、明るい未来が訪れる・・・。
とても勉強になりました。小さい頃から慣れ親しんでもらえるような環境づくり、私も参考にさせて頂きます。
坪井
若い方たちに注目していただくと、大人も変わっていくと思うので。
若い方が共感することによって、大人も続いて共感できるような世代間の交流がある社会が一番理想的だと思います。
渡壁
今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
坪井
こちらこそ、ありがとうございました。合掌。

西大寺会陽*…奈良時代に東大寺から伝わったとされる仏教の行事が、室町時代に現在のような守護札を奪い合う形になった。「はだか祭り」の愛称でも知られる。極寒の冬の夜に、まわしを締めた裸姿の男たちが宝木(しんぎ)という木のお札を奪い合い、宝木を授かった者は福男と呼ばれて1年の御福(ごふく)を授かると言われる。ちなみに会陽の語源は「一陽来福(いちようらいふく)※一陽来復の造語」。困難で厳しい冬が過ぎ、やがて陽春を迎えるという吉兆の意味。かつては旧暦の1月14日に行われていたが、観光化が進んだ現在は、2月の第3土曜に開催されている。

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