西大寺縁起と三つの霊宝

犀の角の西大寺の関係

縁起

宝亀8年(777年)、安隆上人(あんりゅうしょうにん)が大和の長谷寺で修行三昧されていたとき”備前金岡庄の観音堂を修築せよ”と夢にお告げがあり、上人は直ちに西国に下向し藤原皆足姫の擁護のもとに海路を船で急ぎ金岡の庄に向かう途中、児島の槌戸ノ浦にさしかかった時、犀角を持った仙人(龍神)が現れて『この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移し給え』と霊告されました。 こうして安隆上人は犀角をこの聖地に堂宇を建立し、法地開山されたのがこの現在のお寺であり、この時の寺号を「犀角を頂く寺 犀戴寺(さいだいじ)」と号しました。しかし、承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇が執権北条義時への倒幕の祈願を込めたの時の御宸筆により「西大寺」と改められました。

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西大寺三つの霊宝

船上法会の様子
船上法会の様子

当山を開山された安隆上人は龍宮伝説が言い伝えられている瀬戸内海は児島の浦にある槌戸(つちのと)にて龍神より犀角(さいかく)を授かり、これを鎮めて伽藍を建立します。西大寺縁起絵巻(県指定重要文化財)には龍神より授かったこの犀角以外に、龍燈(りゅうとう)、龍鐘(りゅうしょう)があり、これらを「西大寺の三つの霊宝」とすると記されています。
平成29年10月16日、この霊宝を更に輝かすと共に、開祖や龍神へのお礼参りとして西大寺創建の聖地 槌戸龍宮を船上参拝させて頂きました。犀角を献じ、龍鐘を海に響かせ、開基皆足姫と同じ周防国(山口県)神峰山 般若寺様より龍宮西門(大畠瀬戸)を守護する般若姫(龍神)の消えずの聖火を槌戸龍宮に献じて供養し、改めて三つの霊宝に龍神の御霊を勧請させて頂きました。

この霊宝を地域発展のシンボルとして更に磨き、海上交通の要所である瀬戸内海に住む龍神を供養につなげることで、瀬戸内地域全体の安寧を祈ってまいります。

槌の戸浦
槌の戸浦

槌の戸浦2
槌の戸浦2

船上法会お礼参り
船上法会お礼参り

龍燈(りゅうとう)

龍燈(りゅうとう)

西大寺にあった大松に槌戸の龍神の御霊が飛来して、毎夜燈っていたと伝えられています。1,200年の消えずの龍燈として灯を絶やさぬよう守り、護摩などでお授け祈願させて頂きます。

大松に龍燈を灯しにくる龍神(西大寺縁起絵巻)
大松に龍燈を
灯しにくる龍神

(西大寺縁起絵巻)
犀角(さいかく)

犀角(さいかく)

当山に古くから伝わる犀角を槌戸龍宮に献じて供養致しました。御祈祷などの儀式でお授け祈願をさせて頂きます。

安隆上人に犀角を授ける槌の戸の龍神
安隆上人に犀角を
授ける槌の戸の
龍神
龍鐘(りゅうしょう)

龍鐘(りゅうしょう)

槌戸の龍神から授かったと伝えられる龍鐘(朝鮮鐘)は鐘楼門につられており、国重要文化財に指定されています。宇喜多直家の時代、軍鐘として城へ持ち帰りましたが、龍神が惜しむだろうと話していた矢先、岡山で衝いても音が出ないので、再びお寺に戻された逸話が残っています。正月三ケ日は招福の鐘として衝いて頂いています。

岡山城へ運び出される龍鐘
岡山城へ
運び出される龍鐘

犀角について

吉井川

当山に古くから伝わる犀角

経典

お釈迦さまは経典「スッタニパータ」のなかで、インドの草原を悠々と歩く犀を見たとき、人間もまっすぐに伸びるその力強い犀の角のような心を持ち、人生を歩まなければならないと説かれている。

薬

犀の置物のコレクション

古来より、犀角は漢方薬として使用され、解熱剤や解毒剤、または毒を調べる道具などとしても珍重されてきた

伝説

当山に古くから伝わる犀角

経典

お釈迦さまは経典「スッタニパータ」のなかで、インドの草原を悠々と歩く犀を見たとき、人間もまっすぐに伸びるその力強い犀の角のような心を持ち、人生を歩まなければならないと説かれている。

霊験

奉納頂いた犀角の化石

霊験

平安時代、犀角は邪気を払うとされ、部屋の隅に祀り魔除とした。また、角より発せられる霊気は水を退け、鳥を遠ざけ、天(神)に通じてたちまちの内に霊験を得られるという。

戌の親子(縁起)

延徳二年の秋には洪水が寺内を襲うが、堂下にいた犬の母子の周りには水が寄せてこず、少しも体毛が濡れていなかった。犀の角の効力で吉井川の洪水が起きても、本堂には水難が無かったと西大寺縁起には記され、犀角の霊験について語り継がれています。