熊野観心十界曼荼羅

熊野観心十界曼荼羅

年代不明 ※宝暦10年(1760年)修理

現在、全国各地で報告されたこの曼荼羅の数は約60件になるが、岡山県には4件あり、その内の1件が当山に伝わっている。制作時代は、絵の裏に「当所伊原善吉郎」が宝暦10年(1760年)七月盂蘭盆会に修理を行ったという銘があり、少なくともそれ以前の作例となる。

絵は「心」字を中心に、仏、菩薩をはじめとする10の世界との結びつきが描かれている。尚、「心」字からは9本の線が引かれているが、その中で仏・菩薩に引かれるべき所を「老いの坂」の入口と出口に引かれている。これは修理に際して線を引き直した際に生じた誤りではないかと言われている。
画題の中心に視点を据えれば現世での悪業、来世での苦患は盂蘭盆(うらぼん)の施餓鬼(せがき)供養(くよう)に全てが救済されると説く。画中のほとんどを占めるのは生々しい地獄の描写で、地獄といった女性に関係する地獄が描かれる。その理由として、この絵を往来にかけて「絵解き」と呼ばれる解説を行ったのは、熊野比丘尼(くまのびくに)と呼ばれる女性の出家者で、その主な対象は女性であったからである。

十界と六道

十界(じっかい)

十界とは悟りを得た者と、迷える者との全ての境地をいい、四聖道と六道からなる。

四聖道

仏=完全に円満で平和な、究極の悟りの境地
菩薩=既に悟りを得て本当は仏界に入れるのに、この世の人々のことが心配で、あえて立ち止まっている仏界の一歩手前の境地
縁覚=師はいないが、色々な縁で悟りを得た人。自分と仲間だけで修行をしたので、菩薩よりは格が低い。
声聞=師のもとで、自分の修行に励み悟りを得た人。これも他人を救う境地までには到らない。

六道

私たち人間をはじめ、全ての生き物が生まれてきたからには、いつか皆死に逝く。インドでは、全ての生き物は、死ぬとまた何かに生まれることを繰り返すと考えられてました。

餓鬼界 地獄界

阿修羅界 畜生界

人間界と四聖

老いの坂